出身校であり、長年講師をしてきた音楽学校MI Japan大阪校が、今年の3月で閉鎖になった。
先日、3/13に最後の卒業式と卒業ライブを終え、3/18に校舎のお別れ会をしてきたところだ。
少し長くなるかもしれないけれど、人生のほぼ半分の期間、ここで過ごしてきたので、今自分が思うところを、残しておきたい。
MIに興味を持ったのは、高校に入り、バンド活動をはじめ、漠然とロックミュージシャンになりたいと考え始めた時、たまたま雑誌の音楽学校特集で資料請求したことがきっかけだった。
もっとも、その時は学校の特色なんて考えず、付属の葉書全部出したので、数日後、時間差で大量の各学校の封筒やら資料やらが送られてきて、親に怒られたことはよく覚えている(笑)。
中には東京の学校もあったので、全部ではないが、体験入学やオープンキャンパスで、行けるところは全て行った。
どの学校も皆素晴らしかったけれど、時代遅れのハードロック少年には、選択肢は1つしかなかった。
何も知らない自分にとって、入学してからは試練の連続だった。
スケールテストが冬まで合格できなかったり、見学のつもりで行った授業でいきなり弾かされたり(そして怒られる)、書き切れるものではない。
とても辛かったし、毎日がとても大変だったことは今でもよく覚えている。
当時学校へは徒歩で通っていて、毎朝、信号がずっと赤だったらいいのにと思ってた(笑)。
それでも、最後まで続けられたのは、その辛さ以上に、音楽が好きだったからだということと、やはりMIという環境が素晴らしかったからだと思う。
ロックの学校だという看板とは裏腹に、授業はとても多岐に渡っていて、先生方、先輩、後輩、スタッフ陣、皆々恐ろしく個性的で癖のある人たちばかりで、同級生は大村孝佳をはじめとした化物揃いだったし、それはもう単純に楽しかった。
それでいて、皆それぞれ努力していて、同じように悩んでいて、刺激を受けない日なんてなかった。
音楽的なことだけでなく、人との接し方、打ち上げの仕方、礼儀やマナー、確定申告の仕方など、ミュージシャンに必要なことは、時に丁寧に、時に暴力的に、もれなく教わった。
特に、(これは今もだけど)師匠には本当にお世話になった。
卒業後、講師として働くことになったのだけれど、いつも心がけていたのは、いつか余裕で自分を追い越していくミュージシャンが育てばいいな、という気持ちでいること。
講師を始めた時はまだ若かったというのもあって、「先生」というより、少しだけ先を行く「先輩」でいよう、と。
だから、あんまり「働いている」感覚はなかったし、やっぱり毎日楽しかったし、やっぱり大変だった(笑)。
でも、こっちにも変な意地があるし、そう簡単に負ける気もないし、学生の時よりも練習してるかもしれない(笑)。
改めて振り返ると、学生の頃も含めると16年間、あっという間だった。
今、ミュージシャンとしてやっていけているのは、全てMIのおかげだ。
この世界、面倒なことも多いけれど、ミュージシャンになって、ミュージシャンになれて、本当によかったと思う。
心から感謝を。
音楽を志して以来、常にMIは自分の側にあったから、寂しくないわけないけれど、ここで昔を懐かしむのは違う気がする。MIらしくない。
だから、受け継いだものを存分に発揮すべく、これからも全力全開で弾きます。
形あるものはいつかなくなるけれど、魂と誇りは残せるように。
2018年 3/20